染織の重要無形文化財保持者(人間国宝)のご紹介。

友禅(ゆうぜん)

田畑 喜八(たばた きはち)(三代)1877(明治10)年8月16日~1956(昭和31)年12月25日 京都市出身の友禅画家。本名は貴之助。京都府画学校中退し、幸野楳嶺・竹内栖鳳に日本画を学びました。1895年に手描き友禅染の家業を継ぎ、1955年に人間国宝として認定されました。古代裂(こだいぎれ)の収集家および研究家でもあります。

木村 雨山(きむら うざん)1891(明治24)年2月21日~1977(昭和52)年5月9日 金沢市出身の加賀友禅染織家。本名文二。上村雲嶂に師事し、日本画を大西金陽に学び、加賀友禅の制作ひとすじに打ち込みました。帝展、日展、日本伝統工芸展などで活躍した。1955年に友禅の部で重要無形文化財技術保持者(人間国宝)に認定され、1965年に紫綬褒章を受賞しました。

中村 勝馬(なかむら かつま)1894(明治27)年9月18日~1982(昭和57)年4月21日 東京友禅の代表的な作家であり、染織作家で1955年に友禅で重要無形文化財に認定されました。友禅染の芸術的向上と作家地位の確立に努めました。伝統的な友禅技術を基に新しい感覚で創案された簡明で動きのある意匠、品格ある色調による近代的で優雅な作風が特色です。

上野 為二(うえの ためじ)1901(明治34)年4月16日~1960(昭和35)年9月4日 京都市出身の友禅画家。京都美術工芸学校を中退し、西村五雲の塾で日本画を、関西美術院で洋画を学び、日本画と洋画を染織図案の基礎に取り入れました。1925年ごろより父・清江の指導下に家業手描友禅の本格的な修業に入り、1953年に重要無形文化財の友禅染技術の保持者に認定されました。

森口 華弘(もりぐち かこう)1909(明治42)年12月10日~2008(平成20)年2月20日 滋賀県出身の友禅画家で、蒔糊技法を用いた友禅染め作品で知られています。日本伝統工芸展の監査員に就任し、1967年に重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定されました。京都友禅研究会を発足し友禅の研究と後進の指導を行い、日本工芸家染色部門の役員としても染色の伝導や染色による社会的活動に奔走しました。1971年に紫綬褒章も受賞。

山田 貢(やまだ みつぎ)1912(明治45)年2月3日~2002(平成14)年12月7日 岐阜県出身の友禅画家で、日本伝統工芸展を中心に活躍し、簡明な意匠と清新な色調の作風を築きました。中村勝馬(かつま)に学び、1947年に二科展に初入選。1984年に友禅で人間国宝に認定されました。作品「友禅訪問着 波」などが有名です。

羽田 登喜男(はた ときお)2007(明治45)年2月3日~2008(平成20年)年2月10日 京都の庭園や自然を愛し、花鳥風月を基調としたデザインが人気の友禅画家です。鴛鴦(おしどり)の独特な文様や、豪華に仕上げられる野の草花も特徴的で人気があります。京友禅の世界に加賀友禅を融合させた独自の境地を開きました。1988年に重要無形文化財「友禅」保持者(人間国宝)に認定されました。

田島 比呂子(たじま ひろし)1922(大正11)年2月4日~2008(平成20年)年2月10日 東京小石川で友禅模様師をしていた高村樵耕に内弟子として入門し、動植物の模写や師が描く絵を見て日本画の基礎を学びました。1999年に友禅の分野で重要無形文化財保持者に認定されました。デザイン面だけでなく、技法の面でも高く評価されており、「叩き糊」や友禅染の特徴ともされる糸目糊の輪郭線を作らない「堰出し糊」は、特徴的な技法です。

森口 邦彦(もりぐち くにひこ)1941(昭和16)年2月18日~ 京都市生まれの友禅画家。父の花鳥風月の古典美をモチーフにした作風に対し、氏は幾何学模様を配したグラフィカルな表現を極めました。京都市立美術大学・日本画科を卒業後、パリに留学しグラフィックデザインを学び、帰国後、父の元で糸目糊や堰出し技法をはじめ、森口華弘氏の特徴的技法「蒔糊」の友禅技法を学びました。2007年に「友禅」の分野で重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定されました。

ニ塚 長生(ふたつか おさお)1946(昭和21)年8月12日~ 富山県に生まれ、金沢市内の加賀友禅工房で伝統的な友禅の技法を修得しました。糸目糊置(いとめのりお)きによって模様を白くあらわす「白上げ」によって自然を表現する技法を得意とし、技の練磨に努めて伝統的な友禅技法を高度に体得するとともに、技法・表現上の研究を重ねて芸術性の高い独自の作風を確立しました。2010年に友禅の分野で人間国宝に認定されました。

友禅楊子糊(ゆうぜんようじのり)

山田栄一(やまだ えいいち)1900(昭和21)年12月17日~1956(昭和31)年8月11日 京友禅の染め工場勤務をへて吉川与三郎に師事しました。糊(のり)置きの技術に優れ、友禅楊子(ようじ)糊の技法を伝授されました。戦後衰退していたこの技法を復興した功績もあり、1955年に人間国宝に認定されました。

江戸小紋(えどこもん)

小宮 康助(こみや こうすけ)1882(明治15)年9月9日~1961(昭和36)年3月23日 東京出身。本名は定吉。浅野茂十郎に小紋の型染を学び、後に化学染料を使い、伝統的な小紋染におとらない型染を開発しました。1955年に江戸小紋で人間国宝に認定されました。

小宮 康孝(こみや やすたか)1925(大正14)年11月12日~2017(平成29)10月24日 東京都出身の染色家。父の下で修行をし、江戸小紋の技術を伝承しました。古型紙の収集および研究を行い、伝統的な小紋型の復元に努め、後継者の育成にも力を入れていました。 1978年に重要無形文化財に指定された江戸小紋の技能保持者(人間国宝)に認定されました。

長板中形(ながいたちゅうがた)

松原 定吉(まつばら さだきち)1893(明治26)年2月24日~1955(昭和30)年12月30日 富山出身の染色家。東京日本橋の九里正三郎(のち亀戸の竹中竹次)の元で長板中形の型付けを修業しました。1915年に独立し、型付けから染めの一貫作業を行い、1954年本藍染めによる長板中形をはじめました。1955年に人間国宝に認定されました。

清水 幸太郎(しみず こうたろう)1897(明治30)年1月28日~1988(昭和63)11月15日 東京出身の染色家で号は松吉。父・吉五郎に師事し、浴衣を染める長板中形(ながいたちゅうがた)の型付けの技術で評価され、1952年に長板中形協会の技術競技会で金賞・銀賞を受賞しました。日本伝統工芸展に出品を続け、伝統的技術の保存に努めた功績より1955年に人間国宝に認定されました。

正藍染(しょうあいぞめ)

千葉あやの(ちば あやの)1889(明治22)年11月14日~1980(昭和55)年3月29日 姑より藍染めの技法を習い、1955年に技術の伝承者として無形文化財「正藍染」の保持者に指定されました。正藍染は熱を加えず、藍を自然発酵させて染める古来からの技法で、麻と藍の栽培から糸紡ぎ、機織り、染色まで一貫してひとりでおこないました。一貫した自家での生産体制と幅広い技術力が高い評価を受けています。

型絵染(かたえぞめ)

芹沢 銈介(せりざわ けいすけ)1895(明治28)年5月13日~1984(昭和59)年4月5日 静岡県生まれの染色工芸家で、静岡市名誉市民、文化功労者です。1956年に重要無形文化財「型絵染」の保持者(人間国宝)認定されました。20世紀日本の代表的な工芸家として高く評価され、民芸運動の主要な参加者でもありました。オリジナリティあふれる作品の他、本の装丁など商業デザインも手がけました。

稲垣 稔次郎(いながき としじろう)1902(明治35)年3月3日~1963(昭和38)年6月10日 1962年に型絵染の技法で重要無形文化財型絵染め保持者となりました。名声を高めたのは1948年46歳の春以降発表を続けた型染めです。京都および周辺の風物や諸行事をテーマとし、作調は典雅で型染めのもつ量産性よりも芸術的特質に重きを置き、数枚の型紙あるいはその表裏を巧みに駆使して防染糊(のり)を置き、色挿(いろざし)しています。とくに型紙彫刻の隘路(あいろ)とされる「吊(つ)り」を巧みに模様のなかに溶け込ませる技法は、非凡な意匠力と技を感じさせます。

鎌倉 芳太郎(かまくら よしたろう)1898(明治31)年10月19日~1983(昭和58)年8月3日 香川県出身の染織家であり沖縄文化研究者です。紅型の技術を継承して、1973年に重要無形文化財「型絵染」の分野で人間国宝に認定されました。第二次世界大戦前に沖縄の文化財を調査して大量の記録を残したことで、沖縄戦で壊滅に瀕した沖縄文化の保存や復興に貢献したほか、戦後の首里城再建のための貴重なデータも残しました。

羅(ら)

喜多川 平朗(きたがわ へいろう)1898(明治31)年7月15日~1988(昭和63)年11月28日 京都西陣の有職(ゆうそく)織物の老舗・俵屋(たわらや)に生まれた染織工芸家です。1927年に家業を継ぎ、大正~昭和の正倉院資料調査整理などに刺激を受けて古典染織の研究に入り、1931年から正倉院裂(ぎれ)の調査を行い、染色技法の復原を試みました。1960年に「有職織物」の重要無形文化財保持者に認定されました。

北村 武資(きたむら たけし)1935(昭和10)年8月18日~ 京都出身の染色家。上代織の一種である羅(薄絹)、経錦(たてにしき)の伝統技法を会得し、菱文、唐花文などの複雑な文様を織り出しました。1965年に日本伝統工芸染織展に初入選しました。1995年に重要無形文化財「羅」、2000年に「経錦」と、ふたつの人間国宝に認定されました。

精好仙台平(せいごうせんだいひら)

甲田 栄佑(こうだ えいすけ)1902(明治35)年7月10日~1970(昭和45)年1月17日 宮城県出身の染織家。父の陸三郎や佐山万次郎に仙台平の技法を学んだ後、無撚先染織(むねんさきぞめおり)という特殊な技法を考案しました。1956年に精好仙台平で人間国宝に認定されました。

甲田綏郎(こうだ よしお)1929(昭和4)年1月4日~ 早くから父・甲田栄佑に仙台平の技法を学び、1970年に本場仙台平工場を継ぎました。2002年に精好仙台平で人間国宝に認定されました。伝統技術を研究してその長所を大切にし、特色のある意匠と優れた作品を製織し、代表作に「蓬莱山」「瑞光」「嘉祥」「鳳舞」などがあります。

唐組(からくみ)

深見 重助(ふかみ じゅうすけ)1885(明治18)年3月16日~1974(昭和49)年2月19日 京都西陣の有職(ゆうそく)糸組物師松葉屋の13代です。1909年から4回に渡り、伊勢神宮式年遷宮における御神宝の太刀の平緒(ひらお)、宮中・神社の祭事用装束に使用する平緒を製作しました。1956年に唐組で人間国宝に認定されました。

有職織物(ゆうそくおりもの)

喜多川平朗(きたがわ へいろう)1898(明治31)年7月15日~1988(昭和63)年11月28日 京都西陣織の老舗・俵屋の17代目染織工芸家です。正倉院裂(ぎれ)などの古典染織の研究と復元に努めました。1956年に「羅」で、1960年に有職織物で人間国宝に認定されました。「斑金錦牡丹唐草文帯」などの作品が有名です。 喜多川俵二(きたがわ ひょうじ)

献上博多織(けんじょうはかたおり)

小川 善三郎(おがわ ぜんざぶろう)1900(明治33)年7月15日~1983(昭和58)年1月14日 阿部万次郎、父熊吉に師事して昭和27年に独立しました。手織りによる献上博多織の研究を続け、1963年に全国織物物産地競技大会賞などを受賞。1971年に献上博多織で人間国宝に認定されました。

小川 規三郎(おがわ きさぶろう)1936(昭和11)年11月30日~ 1951年より父・小川善三郎に師事しました。1986年に日本伝統工芸展に初入選し、2003年に重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定されました。2006年に博多織デベロップメントカレッジ学長に就任。

紬縞織・絣織(つむぎしまおり・かすりおり)

宗廣力三(むねひろ りきぞう)1914(大正3)年4月25日~1989(平成1)年11月21日 岐阜県にて生を受け、郡上紬(ぐんじょうつむぎ)の復興をめざし、1947年京都市染織試験場長浅井修吉のもとで研究を行いました。1953年郡上工芸研究所に、1980年には神奈川県に南足柄工芸研究所を開きました。1982年に紬縞(つむぎしま)織・絣(かすり)織で人間国宝に認定されました。

紬織(つむぎおり)

志村 ふくみ(しむら ふくみ)1924(大正13)年9月30日~ 1957の第4回日本伝統工芸展に初出品で入選し、その後数々の受賞を重ねて特待者となりました。1990年に農村の手仕事だった紬織を「芸術の域に高めた」と評価され、紬織の重要無形文化財保持者(人間国宝)の保持者に認定されました。

佐々木 苑子(ささき そのこ)1939(昭和14)年7月4日~ 静岡県の手織紬(つむぎ)工房、鳥取県米子、島根県広瀬で紬織や緯絣(よこがすり)を学び、1969年に自宅に工房を開きました。1972年に日本工芸展に初入選し、紬織に絵絣の技法を取り入れ独自な作風を築きます。2005年に紬織で人間国宝に認定されました。

村上 良子(むらかみ りょうこ)1949(昭和24)年月日~ 2016年に「紬織」の分野で重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定されました。グラフィックデザインを学び、1977年より志村ふくみさんに師事し、真綿を手紡ぎした紬糸で作る紬織の技法を習得しました。草木から採りだした透明感のある色彩を大胆な色面構成で魅せ、独自の紬織の世界で作品を生み出しています。

佐賀錦(さがにしき)

古賀 フミ(こが ふみ)1927(昭和2)年2月3日~2015(平成27)年6月7日 佐賀市に生まれ、幼いころから曾祖母、母に佐賀錦の手ほどきを受けました。曾祖母が残した懐紙入れなどの作品、母が織った200種以上の織見本や父が描き起こした模様図案に囲まれて制作を行いました。1966年に第13回日本伝統工芸展で入選した他、数々の受賞を経て1994年に人間国宝認定されました。

紅型(びんがた)

玉那覇有公(たまなは ゆうこう)1936(昭和11)年10月22日~ 両面染めの技法に秀で、「二枚異型」の技法を独自に考案しました。作品には琉球王国時代から戦後の紅型復興期にいたる紅型の伝統が強く息づき、優しくも深く厳しい精神性に裏付けられた独自の創作を生み出しています。1996年に国の重要無形文化財「紅型」の保持者として認定されました。

綴織(つづれおり)

細見 華岳(ほそみ かがく)1922(大正11)年8月23日~1912(平成24)年1月1日 京都西陣で綴織など各種製織技術を学び、後に喜多川平朗、森口華弘の元で学びました。多彩な色糸による花文や流水文を織り、様々な工芸展で活躍し、1991年に沖縄県立芸大教授に就任しました。1997年綴織で人間国宝に認定されました。

刺繍(ししゅう)

福田喜重(ふくだ きじゅう)1932(昭和7)年9月26日~ 京都市に生まれ、1948年から父・刺繍家福田喜三郎に師事しました。厳しい指導により本格的伝統技法を習得。和服の刺繍作品が主流で、自然物を流動的に表現し、色糸の刺繍で微妙なグラデーションや作業により繊細で流れるような曲線を描き、奥行きを感じさせ絵柄が評価されています。1997年重要無形文化財「刺繍」保持者に認定されました。

首里の織物(しゅりのおりもの)

宮平初子(みやひら はつこ)1922(大正11)年11月6日~ 沖縄県立女子工芸を卒業後に上京して日本民芸館や柳悦孝の工房で染織技法を学びました。1941年に沖縄県に帰り、母校に勤務しながら首里織物の技法を研究しました。戦後首里織物の技術保存と技術者の組織化に努め、1970年に宮平染織工房を設立し、1998年に人間国宝に認定されました。

読谷山花織(よみたんざんはなおり・ゆんたんざはなうい)

与那嶺貞(よなみね さだ)1909(明治42)年1月20日~2003(平成15)年1月30日 沖縄の伝統織物・読谷山花織の衰微を惜しみ、1961年ごろから作品収集と織りの研究を行い、1964年その復元に成功しました。さらに高度な技法を研修して多くの後継者も育成しました。1999年に人間国宝に認定されました。

芭蕉布(ばしょうふ)

平良 敏子(たいら としこ)1921(大正10)年2月14日~ 大原総一郎、外村吉之介らの助言によって、沖縄工芸の価値を見直し、1946年に帰郷しました。沖縄県大宜味村で絶える寸前の芭蕉布の復興に努めました。1974年に重要無形文化財に指定された喜如嘉(きじょか)の芭蕉布保存会代表を務め2000年に芭蕉布で人間国宝に認定されました。

経錦(たてにしき)

北村 武資(きたむら たけし)1935(昭和10)年8月18日~ 上代織の一種である羅(薄絹)、経錦の伝統技法を習得しまし、菱文、唐花文などの複雑な文様を織りだしました。1965年に日本伝統工芸染織展に初入選して以来、同展で受賞を重ね、1995年に羅で、2000年に経錦で人間国宝に認定されました。

木版摺更紗(もくはんずりさらさ)

鈴田 滋人(すずた しげと)1954(昭和10)年6月20日~ 2008年9月11日に重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定されました。鍋島更紗の復元に取り組んだ父・鈴田照次の跡を継ぎ、1981年から木版と型紙を併用する「木版摺更紗」の研究を重ねました。作品は緻密かつ豊かな色構成で、独自の作風を確立しています。

紋紗(もんしゃ)

土屋 順紀(つちや よしのり)1954(昭和29)年4月26日~ 紬織(つむぎおり)の志村ふくみに師事し、1981年に岐阜県関市に工房を設立しました。1996年に羅(薄絹)の北村武資に師事し、生絹(すずし)着物「鮎の瀬」で日本伝統工芸展日本工芸会総裁賞を受賞。2010年、紋紗で人間国宝に認定されました。

※喜多川平朗は羅と有職織物、北村武資は羅と経錦、それぞれ二つの工芸技術について保持者に認定されています。また、江戸小紋の小宮康助と小宮康孝、友禅の森口華弘と森口邦彦、有職織物の喜多川平朗と 喜多川俵二、献上博多織の小川善三郎と小川規三郎、精好仙台平の甲田栄佑と甲田綏郎は親子で人間国宝となられております。


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